ダヴィート・フョードロヴィチ・オイストラフ(あるいはオイストラッフとも、Давид Фёдорович Ойстрах, David Fiodorovich Oistrakh、1908年9月30日 – 1974年10月24日)は、ソ連(現在はウクライナ)のオデッサ出身のユダヤ系ヴァイオリニスト。
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David Oistrakh / ダヴィッド・オイストラフのヴァイオリン
使用楽器は1705年製ストラディヴァリウス「マルシック」
David Oistrakh / ダヴィッド・オイストラフの生い立ちと活動
数多くの録音と、数々の献呈されたヴァイオリン作品を誇る。とりわけショスタコーヴィチやハチャトゥリアン、ヒンデミットの協奏曲の録音で著名だが、ブラームスやチャイコフスキー、ブルッフなど、より古典的なレパートリーにも通じていた。ロシア内外のオーケストラとの共演も数多く、ロストロポーヴィチやリヒテル、カラヤン指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とともに演奏したベートーヴェンの『三重協奏曲』、コンヴィチュニー指揮のシュターツカペレ・ドレスデンとともに演奏したチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲およびブラームスのヴァイオリン協奏曲の録音が知られている。
オイストラフは学生時代はヴィオラを演奏しており、生まれついてのヴァイオリニストではなかった。1935年のヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでは、15歳のジネット・ヌヴーに敗れて、第2位に甘んじている。名ヴァイオリニストとの評価が広められたきっかけは、1937年、ブリュッセルのウジェーヌ・イザイ・コンクール(現:エリザベート王妃国際音楽コンクールで首位をかち取り、世界の檜舞台にその名を轟かせたからだった。その後はモスクワ音楽院で教鞭を執るかたわら演奏活動を続けたが、ソ連が第二次世界大戦に参戦すると、最前線に出て慰問演奏を行なった。
教師としても声望に恵まれ、ギドン・クレーメル等が門人にいる。息子のイーゴリ(1931年4月27日 – )も指揮者、ヴァイオリニストとして著名で、しばしば親子で共演し、録音を残した。
1974年にアムステルダムで演奏旅行中に客死、遺体はモスクワに送られ、同地で埋葬された。