Joseph Szigeti / ヨゼフ・シゲティ

Joseph Szigeti / ヨゼフ・シゲティ
Biography

ヨゼフ・シゲティ(Joseph Szigeti, 1892年9月5日 – 1973年2月19日)は、ハンガリー出身のヴァイオリニスト(ヨーゼフ・シゲティとも表記)。ハンガリー語ではSzigeti József(シゲティ・ヨージェフ)。20世紀を代表するヴァイオリン奏者の一人。
自叙伝「弦によせて」翻訳本も出版されている。

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Joseph Szigeti / ヨゼフ・シゲティ の生い立ちと活動

ブダペストでアシュケナジム・ユダヤ系の家庭に生まれた。生まれた時の姓名はJoseph “Jóska” Singer(ヨーゼフ・”ヨーシュカ”・ジンガー)。ヴァイオリニストの叔父の影響でヴァイオリンを始め、ブダペスト音楽院にてイェネー・フバイに師事した。1904年にヨーゼフ・ヨアヒムのピアノ伴奏でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏して評価され、数年のうちにベルリンやロンドンでもデビューを飾る。1913年には西ヨーロッパツアーを行っている。1917年にはジュネーヴ音楽院で指導にあたるようになり、1923年にはプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番を演奏して世間に真価を認めさせるなど、同時代の多くの作曲家から楽曲を提供されることとなる。

パガニーニやサラサーテの前世紀からの影響のもとに、アクロバティックな超絶技巧や磨かれた音色をむやみに追究しようとする風潮に対して、シゲティはそのような姿勢は演奏家の堕落させる一因と考えていた。そのため、知的な理解にもとづく作品解釈を追求し、楽譜の完全な再現や作曲者の意図に忠実な再現をめざした、「客観的な」演奏を行なった。また、一般聴衆の趣味に迎合・妥協しない孤高の姿勢から、ヴァイオリニストのレパートリーとして定番であるマックス・ブルッフやチャイコフスキーの作品を自らのレパートリーから外し、フランス印象主義音楽や新ウィーン楽派など同時代の新音楽を積極的に演奏した。

1940年にはアメリカ合衆国に移住している。米国議会図書館においてアメリカ亡命中の同胞バルトークを伴奏者に迎えて、さまざまな作曲家によるヴァイオリン・ソナタのリサイタルの演奏・録音を行っている。LPレコード時代の1950年代にもブラームスの協奏曲(一般的なヨアヒムのカデンツァを使用)や室内楽、バッハの≪無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ≫などの演奏を残した。ポーランドのピアニスト、ミェチスワフ・ホルショフスキーとは親しく、戦前・戦後を通じて室内楽演奏のパートナーであった。歴史的演奏家の中ではハイフェッツらと並んで来日歴が多く、日本では親日派のヴァイオリン巨匠として知られる。
1953年の来日公演にて、会場で親友のプロコフィエフの死去を知らされ、急遽演奏曲目をプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番に変更し、さらに最後にアンコールで同曲の第2楽章スケルツォを弾いた。

晩年はスイスで教育に力を入れ、海野義雄、前橋汀子ら邦人ヴァイオリニストもその頃にシゲティの薫陶を受けた。
1973年ルツェルンにて死去。